東京都立江北高等学校の現在の校章は、「高」の字を柏の葉で大きく包みこむようにデザインされています。
各ページの上部に旧制第十一中學校、第十一新制高等学校時代の校章と並べて掲げてありますので、あらためてご確認ください。
柏の葉は初冬に枯れますが落下することはなく、春先に若い葉が芽吹くのを見届けてから去っていきます。途切れることがなく受け継がれていく姿に、古来より、家門・子孫繁栄の願いを託し、尚武の象徴としました。質実剛健、明朗闊達を校訓の一つにした学校にふさわしいと言えます。
本校の校章は紋章の世界でいう「抱き柏」で2枚の葉を向かい合わせ、上部にはもう1枚の天に伸びゆく若葉をデザインする独自のもので、すこやかに伸びゆく新葉に、若き江北生の姿を見いだすことができるでしょう。
しかし、四月初旬はまだ枯れ葉がありますので、新入生のなかには茶色の葉を身にまとった正門脇の柏の木を見て、「枯れている」と悲しんでくれた方もいたようです。
この校章は昭和25年11月24日から徽章として採用されました。デザイン作成者は、当時の美術教師 早川巍一郎先生です。東京美術学校(現東京芸術大学)出身の彫刻家で昭和26年5月まで本校に勤務されました。その後多摩美大の教授となられました。「柏」をモチーフにした理由は不明です。前月の10月27日の職員会議で了解を得たとありますので何らかの説明があったと思われますが、説明が記録に残らなかったのは前述のように柏に質実剛健の意味合いがあるので、男子校だった江北の校章としてみんながすんなり納得したからと思われます。
ただ、いわゆる柏餅に使用されるカシワの葉は全体的に丸みを帯びており、一方、徽章の葉はスリムです。現在使用しているバッジの形は全体的に丸くして、その葉はやや幅広にしていますが、それでも餅を包むには無理があります。そこで「柏ではない」と主張される方がいますが、当時の江北新聞で「柏」とし当時の誰もが疑義を唱えていないので「柏」なのでしょう。紋章ではデフォルメはありがちなのです。また、紋章でいう「柏」の範囲は広いようで、植物のカシやケヤキなども含むようです。江戸時代の土佐山内藩主家の家紋は土佐柏と呼ばれますが、その葉の形はプロペラのように細いので植物のカシワでないことは明らかです。また旧制一高の校章は「柏葉と橄欖」ですが、この柏はオークとされています。このように紋章で柏と称しても植物のカシワとは一致しないものもあります。なお旧制都立四中(現戸山高)は4枚の柏の葉で、その葉の形はカシワそのものです。
前身の十一中の校章は単純に十一中を縦に並べた太く四角い校章です。受け取った生徒は他校の桜とか梅に比べて物足りないと感じたようですが、明瞭に十一中生徒とわかるので、通学途中での規律に気をつけるようになったといいます。ただ他校生徒からは「土中(どちゅう)」と言われたとか。十一高の校章も十一高を縦に並べ、背景に三本の川の隅田川、荒川、綾瀬川を表したものと言われています。
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創立70周年を記念し同窓会が寄贈した旧正門脇の柏。現在は新校舎の玄関前に移植されています。