旧制府立十一中の質実剛健、文武両道の伝統を受け継ぎ、活躍するわれら江北健児、江北撫子。

沿革 同窓生交歓 あのころ 点描散歩 江北会

見出し 点描散歩、写真は南からみた校舎と格技場

綾瀬川

学校のそばをゆっくり流れる綾瀬川に沿って歩くと、新しい発見があります。ご紹介します。


源流点

綾瀬川源流碑

綾瀬川は埼玉県中央部の桶川市東部を発し、農業排水を集めながら東京へ流れています。そもそも綾瀬川は乱流して綾糸のようと言われたように、低地を流れているため水が停滞して水害が発生しましたので、江戸時代から各所で河川改修が行われました。

上流では綾瀬川筋にも流れ込んでいた荒川を熊谷で堤防を築き、断ち切りました。断ち切られた川はそこを起点とする流れになり、その名も元荒川と名乗り、越谷市内で中川に合流します。一方、綾瀬川筋はそれでも大雨を排水しきれずすぐに農地が水没したようです。そこで桶川で堤(作った関東郡代伊奈備前守から備前堤と言われます)を設けたので、上流の赤堀川はここで不自然に屈曲して東へ向かい、元荒川に合流させられます。そしてこの備前堤から出発する流れが綾瀬川となるのです。なんだかややこしいですね。

写真は綾瀬川起点の碑です。現在は道路になっている備前堤にあります。碑の後ろが綾瀬川となる溝ですが5月ともなると雑草で見えません。



上流の様子

綾瀬川―伊奈町あたり

そういうわけで綾瀬川の源流の実態は単なる溝です。清らかな水が湧き出ているわけではなくて、がっかりでしょうか。横に埼玉県の下水処理場がありますがその処理水は受け入れていません。ここから田んぼの水を集めながら綾瀬川は南下を始めます。綾瀬川の右岸側が足立郡、左岸側が埼玉郡(都内では葛飾郡)です。郡制度ができたのは奈良平安時代と言われますから、綾瀬川は昔は郡界になるような大きな川だったと推測されます。

右岸の北足立郡伊奈町に入ると護岸がジョッギング道路に整備されて、どこまでも続く田んぼの中を川は流れていきます。写真はそんな綾瀬川を上流に向かって撮影しています。ジョギングロードなので畦道は舗装されています。遠くに東北新幹線の高架が見えます。

岩槻の東武野田線を過ぎたところに堰があります。綾瀬川は江戸時代から水運のために堰を設けることは禁止されていましたので、この堰がただ一つの堰になります。ここで農業用水として水をすっかり取られた綾瀬川は細々とした水量になりますが、下るにつれて、再度農業排水を徐々に受け入れて再び水量が増しています。



草加市あたり

綾瀬川―草加松並木

草加市に入ると、護岸の環境整備が進み、右岸側は桜並木や散歩道が続きます。国道4号線や東武線をくぐり抜けると綾瀬川は右に曲がり、ここから直線になります。江戸時代に新川として開削されたところです。旧川は古綾瀬川と名乗り、曲がりくねった川が残されています。

陸上交通が脆弱だった昭和の初めまで水運が盛んで、荷揚げを行う河岸の跡が左岸にあります。右岸側は新川開削と同時期に松が植えられた日光街道の草加松並木です。写真はその松並木と綾瀬川です。

この松並木の道はかつての江北中40キロ強歩のコースの一部でしたが、あるOBは苦しくて「美しい松並木も楽しむ余裕はなかった」と述懐しています。松は世代交代が進み、補植された木が多いようです。

松並木が尽きると川は左に曲がり、周囲は住宅や工場が続きます。都内に入ったところで毛長川、伝右川が合流します。花畑地区では川沿いの道というより河川管理区域でしょうか、土と芝生の上を歩きます。対岸は八潮市で工場が多いようです。



母校の前へ

綾瀬川―学校前

綾瀬川は内匠橋から直線的に母校の前を流れ、スーパー堤防に改修された東京拘置所と公務員住宅の横を過ぎていきます。ここも江戸時代に新川開削されたところです。昔むかしの流れの一部は綾瀬駅周辺をうねっていた古隅田川(今はほとんど暗渠)です。

写真は綾瀬新橋からみた江北高校です。左手に見えるのは高速道路三郷線と東京スカイツリー、正面は東京拘置所と住宅棟です。

さて内匠橋あたりが川の汚濁度ワースト上位に常にランクされているところです。しかし今は浄化対策も進んでかなり改善され、また花畑川などを通じて中川の水を取り入れて汚濁を希釈しています。川の水は流下するにつれ水生植物などで浄化されますが、ご存じの通りこのあたりはコンクリート護岸が続き、水運や洪水対策のために水草、藻、葦を含めた堆積土をさらうため自然浄化は期待できません。川のそばにある高校にはボート部があってもおかしくないのですが、綾瀬川では考えられないことだったのでしょうね。それでも戦後まもない昭和22年に5年生の水泳部員が綾瀬川で泳いだ話が残っています。

小菅を過ぎると昔は堀切から隅田川に合流していましたが、今は荒川に遮られて、土手に沿っておとなしく流れていきます。そして葛飾区東四つ木で中川に合流し、中川も荒川に沿って流れ、西葛西で荒川に合流します。東京湾はもうすぐです。



歩いてみませんか

荒川土手、堀切から南に向かっての写真

写真は、荒川土手から南方向を撮影しています。左は綾瀬川と堀切菖蒲水門で、上空に高速道路中央環状線、画面右には東京スカイツリーが見えます。

江北高校には江北中學時代から40キロ強歩という伝統がありました。春と秋に、全校生徒が千住新橋から日光街道を通り春日部で大宮に向かう約40キロを数時間で、歩き、走るイベントです(逆コースもありました)。参加した方には強烈な思い出となったようで、その後の人生でへこたれない体力と精神力を養ったと語るOBもいます。

今は道路の交通事情もありますし、体力の個人差もあります。OB・OGの皆様がた、強歩でなくゆっくりと健康保持のため綾瀬川に沿って歩いてみませんか。起点から中川合流点までおよそ47キロです(学校からだと約42キロ)。数回に分けると楽です。

左岸よりは右岸側、4月ごろがお勧めです。5月を過ぎると上流では川岸の雑草が背丈以上に繁茂して足元がわからないような場所も出現するからです。また、さいたま市東部、浦和美園駅周辺の綾瀬川沿いでは現在、大規模区画整備工事中で立入禁止のため大きく迂回する必要があります。人家の裏側もあり地図は必需品です。起点に着いたら、20分ほど歩いたところに埼玉ニューシャトル線内宿駅があります。ここから大宮へ帰ります。途中に鉄道博物館駅がありますが、降りて見学する余力はないと思われます。